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Posted by 京つう運営事務局 at

2014年05月20日

船岡山

予報どおり夕方から雨の京都・西陣でした。

家を出るなり雨粒がポツポツとしておりまして
お客さま宅へ到着する頃には本降りの雨となっておりました。
早いかも知れませんが一雨ごとに梅雨に近づいて来るのでしょうか。

さて、今日はちょっと趣向を変えて
「船岡山」を掘り下げて紹介してみたい思います。

子供の頃は、虫捕り・写生によく来た裏山?感覚の山でした。


では、公園に入りましょう。


四季折々、緑・紅葉がきれいですよ~。


今の季節は新緑! きれいでした。


ここは京都市内にある丘ではなく、「山」です!
こんな苔むした石段があります。


これは獣道?にしては広すぎる!
ここから「船岡山」のお話しが始まります。


船岡山は京都市北区紫野北舟岡町に位置し
標高111.7m、面積2万5000坪の小山です。
船岡山城の遺構、建勲神社、船岡山公園が整備されています。


尚、船岡山公園は、京都市の都市計画公園第1号であるが
なんと!大徳寺所有地を借地している。
山名の由来は『都名所図会』によると舟の形に似るところによります。
船岡山の北側及び南側に断層があり、隆起した山とされている。

では、歴史的に・・・。
平安京の中軸線である朱雀大路の真北に位置しているところから
造都に際して船岡山は南北軸の測量基準点となったとされました。
頂上付近には露頭した岩が見られるため造都以前から
磐座(いわくら)として信仰されていた可能性も指摘されています。


古来、船岡山は景勝の地でした。
その美観が、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と
思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げています。
一方では都を代表する葬送地でもあり
吉田兼好も『徒然草』137段にて
「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも
送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と歌っています。

また、「平安京四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)」の
玄武(=高山)に当てる説もあるが
「高山」とするには低すぎる為、検証中です。

保元元年(1156年)に行われた保元の乱の後
敗北した源為義とその子供たちがここで処刑されています。

応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や
丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して
立て籠もった。
因って、西軍の陣地となった船岡山を含む一帯は
それ以来「西陣」の名で呼ばれるようになりました。

織田信長の死後豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け
船岡山に織田信長の廟を建設しました。
明治2年(1869年)、明治天皇の宣下により改めて船岡山に
信長を祭る神社が作られることとなり
明治8年(1875年)、建勲神社が創設されました。
昭和6年(1931年)には山全域が風致地区に指定され
「船岡山公園」として市民の憩いの場となるように整備されました。
しかし戦前まで田園風景が広がっていた一帯も戦後は
開発の波に晒され2000年代には船岡山を削って
高層マンションを建設する計画が持ち上がるなどしています。

こんな事を思って遊んでいた山ではありません!
この歳になって初めて勉強しましたぁ!

謂れのある、京都を創る原点だった山!
また、「西陣」と呼ばれるようになった「城」があった山!

西陣の原点に返った気持ちです。

では「京(今日)の一曲」は
「スター・ダスト」をお聴きください。
  


Posted by 西陣整体 at 22:34私の西陣