2014年07月15日
舟橋
暑い~、梅雨明けたんと違う?
さて、昨日に続きまた、「橋」の話題なんですが。
橋には川が付き物でして
西陣には「堀川」「小川」「今出川」がその昔流れていました
現在、堀川は再生されましたが、ほとんどの河川は暗渠になりました。
しかし、その川の名前は通り名として現在も引き継がれていますが
昨日は「水落橋」でしたが今日は「舟橋」をご紹介しましょう。
では、堀川今出川でバスを降りて・・・。
ここは「堀川今出川」道路ですよ!川が交わってますが!
実際には交わっていたかどうか?調査中です。
ふと、そこで。
南天に覆われてなんかある。
立札が建っていました。
枝をかき分け読んでみたら。
室町時代、応仁の乱で対峙し、船を並べた橋であるらしい。
また、この辺りは公家の舟橋家の屋敷が
あったところでもあるとのこと。
実際、立札には
この地は古くから舟橋と呼ばれ、昔、堀川が氾濫した時
ここに舟を繋いで橋を懸けたことから起こった名前と言われている。
「京町鑑」によれば、この地に足利尊氏の執事、高師直の邸宅があり
泉殿の下に舟橋を浮かべて結構を尽くしたという。
地名には何か謂れがある。
その謂れを掘り下げると当時の光景が浮かぶ
何分、京都は応仁の乱でかなりの消滅を余儀なくされた
また、時代の流れで街並みが変わった。
今のように広い道路はなく堀川や今出川が流れていた。
戦乱により、また、その影響で川も家もなくなり
生活優先の変化を遂げたと云うのが正直なところかな?
では「京(今日)の一曲」は
「恋の季節」 ピンキーとキラーズでお聴きください。
さて、昨日に続きまた、「橋」の話題なんですが。
橋には川が付き物でして
西陣には「堀川」「小川」「今出川」がその昔流れていました
現在、堀川は再生されましたが、ほとんどの河川は暗渠になりました。
しかし、その川の名前は通り名として現在も引き継がれていますが
昨日は「水落橋」でしたが今日は「舟橋」をご紹介しましょう。
では、堀川今出川でバスを降りて・・・。
ここは「堀川今出川」道路ですよ!川が交わってますが!
実際には交わっていたかどうか?調査中です。
ふと、そこで。
南天に覆われてなんかある。
立札が建っていました。
枝をかき分け読んでみたら。
室町時代、応仁の乱で対峙し、船を並べた橋であるらしい。
また、この辺りは公家の舟橋家の屋敷が
あったところでもあるとのこと。
実際、立札には
この地は古くから舟橋と呼ばれ、昔、堀川が氾濫した時
ここに舟を繋いで橋を懸けたことから起こった名前と言われている。
「京町鑑」によれば、この地に足利尊氏の執事、高師直の邸宅があり
泉殿の下に舟橋を浮かべて結構を尽くしたという。
地名には何か謂れがある。
その謂れを掘り下げると当時の光景が浮かぶ
何分、京都は応仁の乱でかなりの消滅を余儀なくされた
また、時代の流れで街並みが変わった。
今のように広い道路はなく堀川や今出川が流れていた。
戦乱により、また、その影響で川も家もなくなり
生活優先の変化を遂げたと云うのが正直なところかな?
では「京(今日)の一曲」は
「恋の季節」 ピンキーとキラーズでお聴きください。
Posted by 西陣整体 at 23:12
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