足抜け地蔵

西陣整体

2014年08月18日 21:55

お盆が明けて今日から平常に戻りましたね。

「西陣整体の営業日誌」も再スタートします。

今日は、「足抜け地蔵」のお話しです。

西陣にいろんな図子がありますが

「灰屋図子」と云う、ほんとに生活道路で道幅もすれ違うのが

やっとですが、図子にはなんらかの謂れがあります。

ここ灰屋図子は、灰屋紹益(はいやじょうえき)を代表とする

灰屋一族が住んでいた所で南北朝時代より京都の豪商です。

で、路地には「お地蔵さん」。江戸末期 、遊郭「島原」にあった

「足止め地蔵」と呼ばれていたものです。

廓の女将が足抜きした遊女を捜す為にお参りすると

三日とたたないうちに遊女を見つけ出していました。


そんな京都の遊郭・島原を舞台にして

西陣の職人と遊女が恋に落ちました。

遊女はついに一大決心して「足抜きしてあの人と一諸になろう」

足止め地蔵さえ無くなれば 見つけられずにすむと思い

石のお地蔵さんを背中に背負って逃げ出しました。

彼氏の待つ大宮寺之内の「灰屋図子」へ辿り着くなり

彼氏の家の前でバッタリ!(なんと偶然なぁ!)

その後、二人は幸せな人生を送ったそうです。

そのお地蔵さんは、路地の一角に鎮座 その名も「足抜き地蔵」と

改められ「灰屋図子」の守り神となりました。


この話には、後日談があります。

昭和の時代になって、今更?島原の楼主が路地に来て

「この地蔵さんは島原のモンどす!お引き取りしとうおす」と

長屋の人達と交渉しました。

どこぞの国の首相やありませんが「金目」?

かなりのお金を出すというので「売りまひょ!」と決まりました。が

その夜、長屋のある人に地蔵が乗り移って

「私は、島原へは帰らしませへん

多くの遊女を苦しめた悪い地蔵どす。

修行のためにこの路地に来ましたんどっせぇ。

そやさかい、まだまだ修行が足りまへんし帰さんといとくれやす」

と、お告げがあったそうです(ほんまかいな?)

この一声に感激した長屋の人達は売る方針を改め

以後、この路地・図子の守り神として祀りました。とさ! 

めでたし!めでたし!

では「京(今日)の一曲」は
「珊瑚礁の彼方に」をお聴きください。

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