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Posted by 京つう運営事務局 at

2014年05月31日

地元

暑かったですね~、もう夏です!

今日は錦の営業を終え一旦、帰宅。
ここはカツラ駅西口、夕日です
全然、夕焼けしてませんけど・・・。


亀岡から桂へ越して来てもう13年が過ぎました。
桂にお住まいの方には申し訳ありませんが
愛着が全然ありません・・・。

ここからは阪急電車が良く見えますが・・・。


こんな話しを聞きました
「雨が降っていても阪急電車に長靴履いて乗る人はいない」
まぁ、それだけオシャレな人が多い(エエ格好しい)だと云う話し。

なんでカツラに越して来たかぁ?
前職場の異動によるものです。
嫁の実家もカツラですし、高齢の両親の事を考えて
息子の通学問題もありましたしね。
と、思ってこのカツラ東口に住処を探しました。


しかし、なんだか今でも違和感があります。
始めに答えをいうと、生まれ育ったところでないのが原因かな?
私が住む地域は50年前に乱開発されたところで
道幅狭く区画整理もせず水路を暗渠にして
生活道路とした街です。

50年前といえどいろんなところから来た人の集まり
そして、この地域もご他聞に漏れず少子高齢化地域です。

まぁ、それはそれとして、これも答えから言うと
気位の高い街です。自分の事を棚に上げて。

はっきり云って好きではありません。

しかし、家族でそんな不満を言うのは私だけ!
皆、「ええとこやぁ~!」と絶賛している
長期計画だが西陣へ進出するかな?「西陣整体・本店」!

では、「京(今日)の一曲」は
藤田まことさんで「十三の夜」をお聴きください。
  


Posted by 西陣整体 at 21:26雑感

2014年05月30日

西陣・裏路地営業

随分、暑くなりましたね。明日から半袖着て営業しようかな?

では、今日も「西陣」営業・施術です。
今日は、路地裏・名もない通りを歩きます。

が、その前にスタートは千本今出川。


そして、本店があった智恵光院今出川を越えて


大宮今出川に到着です。


考古資料館の横の道?路地を北へ。


やはり細い路地ほど古い物は残っているもんです。
ベタな牛乳瓶受け。まだ局番なく「西陣」とあるだけ。


そして、まだまだ、弁柄格子の町屋が健在です。


カーテンがしまったまんまの家屋。
以前は精肉店でした、串カツが美味しかったんですが・・・。


西陣小学校の前まで出て来ました。


未だこんな板塀の建物、ないですよね。それも洋風。


廃校となりましたが、元校門には西陣小学校と看板がかかり
保存されているのは羨ましい限りです。
私の卒業した小学校は、このほぼ裏にあったのですが
跡形もなく養護施設がデン!と建ちました。
なんだか恨み節のように聞こえますが・・・。

校舎も当時のまんま残ってますね。


ここへ来るといつも思うのですが
この建物、以前はなんやったんやろ?


大宮通り、この時間は人・車の行き来があります。
これでお店に活気があればいいのになぁ・・・。


寺の内のたんきり飴さん、飴を買って少しおばさんと話す。


で、大宮通りを歩いていたら・・・。
すんごくインパクトのある自転車発見!
これで右側は走れません!


そして、鉾参通りを西へ。
先程の牛乳瓶受けの少し新しいバージョン。
局番が入ってました。


そして、大黒町へと向かう。
寺の内通りにシートが並べなれとりました。
こう見るとシュールですね。


ん!? その向かい。
こんな玄関口、最近は見かけなくなりました。


さて、最終地点、大黒町。仕事終わりの時間です。
なんだか気忙しい雰囲気がしました。
明日は週末。ここも少し静かになるでしょう。




さぁ、明日は週末・月末、錦の営業です。
朝から晩まであっち・こっち駆け回ります。

では、「京(今日)の一曲」は
西崎みどりさんで「旅愁」をお聴きください。
  


Posted by 西陣整体 at 22:32営業日誌

2014年05月29日

あっという間!

爽やかなお天気が続いています。
日中は、ちょっと夏を思わす暑さになってきましたね。

日没が遅くなり営業・施術も明るいうちからスタート?
と、思った千本今出川です。


で、ここはミヨシ堂はんの時計台は外せませんね。


今日は、この付近ではなく
更にバスに乗って烏丸今出川まで行きます。


この辺り、同志社大学の学生で随分賑わうようになりました。
京田辺に一部移った時は、学生も少なかったのですが
今出川より北、寺の内あたりまで烏丸通りの両側は
同志社大学関係の建物が連なっています。


本日は、この界隈を数軒、営業しました。
ようやく営業が終わるとすっかり日が暮れ
飲み屋さんの灯りが煌々としていました。


下戸な私はこの前を素通りして
天神公園で用を足し、水火天満宮の灯りが目に付き
小さな境内に入ってみました。


あまりウロウロしていたら通報されそうなので
早々に撤退です。


堀川通りを渡り、成逸会館前を西へ


お約束のあまり人の通らない大宮商店街。
まぁ、8時を廻ればこんなもんかぁ!


そうやぁ!智恵光院通りの散髪屋さん
どんな飾りになってるのかな? 確認しに行こ!
おっ!シンプルにつつじが活けてありました。


そろそろ帰宅の時間が・・・、大黒町へ急がねば!


あ~、明日にかけ週末・月末が重なりますね!
錦と西陣を駆け回らんとあかん!
今夜は充分体力・気力を養わねば!
とか言って、こんなとこに行きまして。


怪しい路地裏に吸い込まれ


ちょいと一突き。


日暮れは遅くなりましたが、急に辺りは暗くなるもんですね。
明るさで仕事を終わる訳ではありませんが
遅くにお客さま宅へ営業するのは如何なものか?
面談は出来るが、相手は迷惑ではないか?
と、遠慮もせずにズケズケと営業すること3時間
それなりの成果を収めて本日は営業終了!

では、「京(今日)の一曲」は
ビリージョエル「ストレンジャー」をお聴きくださいませ。
  


Posted by 西陣整体 at 21:41営業日誌

2014年05月26日

成長

新しい一週間が始まりましたぁ! 雨でしたけど・・・。

昼から本降りになり、ちょっとテンションも上がらない。
が、健康を生業にする「西陣整体」
今日?今夜も笑顔・元気で施術・営業です。

と、その前に!
「ささやん農園」のジャガイモ、こんな大きくなりました。
随分、葉が大きく、茎も太くなりました。
花が咲く前に植え替えをしてお盆頃には収穫できるそうです。


さて、今日は!
地下鉄、二条駅の改札前にある出土品のご紹介。
地下鉄工事に際してこの辺りから・・・
まぁ、京都市内、掘り返せばなんか出て来ます。

二条城と神泉苑の間から出て来た出土品が展示されていました。

神泉苑、元は平安京大内裏に接して造営された
禁苑(天皇のための庭園)であったそうで
延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に
当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑でした。
当初の敷地は二条通りから三条通りまで
南北約500メートル、東西約240メートルに及び
池を中心とした大庭園だったそうです。

これは池の船着場の土台だそうです。
延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり
この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場と考えられます。
また、「日本後紀」には、嵯峨天皇が弘仁3年(812年)に神泉苑にて
「花宴の節(せち)」を催したとあり、これが記録に残る
最初の花見と考えられています。


これでもか!とばかりな「神泉苑」と書かれた瓦。
神泉苑には竜神(善女竜王)が住むといわれ
天長元年(824年)に西寺の守敏と東寺の空海が祈雨の法を競い
空海が勝ったことから以後東寺の支配下に入るようになりました。


軒の瓦にもいろんな種類があるんですね!








そして、「井戸」・「井戸の石組」も出土されたそうです。


貞観5年(863年)に都に疫病が流行り
神泉苑で御霊会が行われました。
貞観11年(869)には神泉苑の南端
(現在の八坂神社三条御供社の位置)に
66本(当時の律令制度の国の数)の鉾を立てて
祇園社から神輿を出し
現在の祇園祭の元になったと言われています。

では「京(今日)の一曲」は
シーナ・ウエストンで「モーニングトレイン」をお聴きください。
  


Posted by 西陣整体 at 22:49営業日誌

2014年05月23日

金曜アラカルト

今日は23日、これから週末・月末と追い込みがかかります。

昨夜のカルテ掘り起し作業から狙い撃ち営業をしました。

スタート地点は智恵光院今出川西北角
ちょうど西陣信金本店跡前です。


ここから、大宮公園付近を営業です。


すっかりさくらは新緑となりました。


公園の前の八百屋さん。
店を閉められて久しくなります。
いろんな野菜・果物を並べられてんですが・・・。


次は、大宮通りを少し北へ
いつも気になるこの土蔵、ちょっと不気味。


大宮上御霊前を西へ入ります。
町屋・機音が全く聞こえなくなりました
わずかに町屋が2軒、残ってるだけです・・・。


ちょっとシュールですが、格子に植木鉢。
いいですね!ナイスです。 京都ならではな光景ですね。


この付近で数軒営業。
なんとか予約を頂き、次の訪問先「大黒町」です。






いつからあるのか?杉玉がぶらさがってます。


そして、一輪の花。
気持ちを落ち着けてくれます
一呼吸いれてこの付近で数軒、営業。


営業を終えてもまだ日は暮れていません。
随分、日暮れが長くなったもんです
もう7時、この明るさ。まだ、働け?ってですか?


私には、この後、大人の部活動があるんです!


しかし、週末を控え、そこそこにして帰宅。
これにて本日の営業終了です。

では「京(今日)の一曲」は「ブギー・ワンダーランド」
アース・ウィンド・ファイアーでお聴きください。
  


Posted by 西陣整体 at 22:09営業日誌

2014年05月22日

ムッ!

風が強かったですね! 追い風は歩くに良いのですが
向かい風は、目に埃が入るは歩き難いは・・・
徒歩の営業も波風が立たないのが良いですね!

さて、毎日「市バス」を利用し市内を施術・営業に廻っておりますが。

私は、「フリーパス」(敬老パスとちゃいまっせ!)を持っておりまして
以前から思うのですが、現金・回数券・敬老パスの乗客には
「ありがとうございます。」と云うくせにフリーパスの乗客は無視!

なんちゅう対応や!

それから「バスが停まるまで移動しないでください」車内アナウンス
私は円滑なバス運行が出来るようにと出口へと移動したら
「移動しないで下さい」とアナウンスし降り際に睨まれた
私は「ナニか? あんたシートベルトしてへんで!」と
大声で他の乗客に聞こえるように言った。

道交法違反と侮辱罪適用ですね!

京都市交通局に私は言いたい!
サービス向上の前に運転手の教育をしろ!!!

では、気分を変えまして!

今日は、私の子供の頃の遊び場だった
櫟谷七野神社(いちだにななのじんじゃ)
ちょっと切り口を変えてご紹介したいと思います。


櫟谷七野神社は、平安時代から鎌倉時代にかけて
賀茂斎王の御所「斎院」があった土地に創建された神社です。


別名「春日神社」とも呼ばれ、京都三大祭り「葵祭」の前に
斎王代が参拝する習わしになっています。
現在は住宅地の中に境内が小さく残されています。


さて、ここらなんですが・・・
平安時代。宇多天皇の皇后が、浮気相手に目がいった
天皇の寵愛を取り戻そうとして櫟谷七野神社に祈願し
夢のお告げで白砂を三笠山の形に積んだところ
再び天皇の寵愛を取り戻したそうです。


これに因んで、本殿の前に敷かれた白砂を三笠山の形に積んで
祈願すると復縁祈願が成就されるという信仰が広まりました。


現代でも「夫の浮気をやめさせたい」や
「別れた彼氏に戻ってきて欲しい」など愛の復活を願う
女性が参拝に訪れています。


現在は塩・砂・玉砂利などを本殿前に盛ると建物が傷むとして
これらの行為を基本的に禁じています。
その代わりに「社前高砂山御祈願」として
神社が用意したビニル袋に入った白砂を本殿前の棚に
三笠山のカタチに積み同封された用紙に住所氏名願意を
記入して初穂料1000円を合わせて賽銭箱に納めると
月毎に神職が祈願の儀を執り行うという作法になっています。

裏設定的な俗説ではありますが、この「高砂山」には
もうひとつの信仰が残っています。
本殿前に積み上げられた高砂山の砂を持ち帰り
別れたい相手のポケット(※昔は着物の袖)の中などに
放り込んでおくと離婚/離縁できるという信仰です。
現在も離婚/離縁を願って高砂山の砂を持ち帰る人が
後を絶たないようです。もし、あなたの背広のポケットに
身に覚えのない「白い砂」が入っていたときは・・・
奥さんがあなたと別れたがっているのかもしれませんよ。

そして、この石垣!
各大名が寄進した印を刻み込まれたものがあります。






では「京(今日)の一曲」は
もうすぐこんな季節がやって来ますね!
「シーズン・イン・ザ・サン」TUBEでお聴きください。


では「京(今日)の一曲」は  


Posted by 西陣整体 at 21:37営業日誌

2014年05月20日

船岡山

予報どおり夕方から雨の京都・西陣でした。

家を出るなり雨粒がポツポツとしておりまして
お客さま宅へ到着する頃には本降りの雨となっておりました。
早いかも知れませんが一雨ごとに梅雨に近づいて来るのでしょうか。

さて、今日はちょっと趣向を変えて
「船岡山」を掘り下げて紹介してみたい思います。

子供の頃は、虫捕り・写生によく来た裏山?感覚の山でした。


では、公園に入りましょう。


四季折々、緑・紅葉がきれいですよ~。


今の季節は新緑! きれいでした。


ここは京都市内にある丘ではなく、「山」です!
こんな苔むした石段があります。


これは獣道?にしては広すぎる!
ここから「船岡山」のお話しが始まります。


船岡山は京都市北区紫野北舟岡町に位置し
標高111.7m、面積2万5000坪の小山です。
船岡山城の遺構、建勲神社、船岡山公園が整備されています。


尚、船岡山公園は、京都市の都市計画公園第1号であるが
なんと!大徳寺所有地を借地している。
山名の由来は『都名所図会』によると舟の形に似るところによります。
船岡山の北側及び南側に断層があり、隆起した山とされている。

では、歴史的に・・・。
平安京の中軸線である朱雀大路の真北に位置しているところから
造都に際して船岡山は南北軸の測量基準点となったとされました。
頂上付近には露頭した岩が見られるため造都以前から
磐座(いわくら)として信仰されていた可能性も指摘されています。


古来、船岡山は景勝の地でした。
その美観が、清少納言も『枕草子』231段にて「岡は船岡」と
思い浮かぶ岡の中では一番手として名前を挙げています。
一方では都を代表する葬送地でもあり
吉田兼好も『徒然草』137段にて
「(都の死者を)鳥部野、舟岡、さらぬ野山にも
送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と歌っています。

また、「平安京四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)」の
玄武(=高山)に当てる説もあるが
「高山」とするには低すぎる為、検証中です。

保元元年(1156年)に行われた保元の乱の後
敗北した源為義とその子供たちがここで処刑されています。

応仁の乱の際に西軍を率いる備前国守護の山名教之や
丹後国守護の一色義直らが船岡山に船岡山城を建築して
立て籠もった。
因って、西軍の陣地となった船岡山を含む一帯は
それ以来「西陣」の名で呼ばれるようになりました。

織田信長の死後豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け
船岡山に織田信長の廟を建設しました。
明治2年(1869年)、明治天皇の宣下により改めて船岡山に
信長を祭る神社が作られることとなり
明治8年(1875年)、建勲神社が創設されました。
昭和6年(1931年)には山全域が風致地区に指定され
「船岡山公園」として市民の憩いの場となるように整備されました。
しかし戦前まで田園風景が広がっていた一帯も戦後は
開発の波に晒され2000年代には船岡山を削って
高層マンションを建設する計画が持ち上がるなどしています。

こんな事を思って遊んでいた山ではありません!
この歳になって初めて勉強しましたぁ!

謂れのある、京都を創る原点だった山!
また、「西陣」と呼ばれるようになった「城」があった山!

西陣の原点に返った気持ちです。

では「京(今日)の一曲」は
「スター・ダスト」をお聴きください。
  


Posted by 西陣整体 at 22:34私の西陣