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Posted by 京つう運営事務局 at

2020年03月29日

東陣のさくら アラカルト


今日はあまりお天気がよくありませんでしたが

機会を逃しては撮れませんので

西陣ではなく「東陣」のさくらをご紹介していきます

まずは、堀川今出川のさくら


次は白峯神宮の左近乃桜


それから報恩寺境内のさくら


そして妙顕寺境内のさくら


そして寺の内小川の百々橋の公園のさくら


そして本法寺のさくら


そして妙覚寺のさくら


そしてそして最後は水火天満宮の枝垂れ桜


どうでしたか?ほんとに急いでご紹介した「東陣」のさくら

ここで!私は堀川通りよりも東は敵陣「東陣」と呼びます

よくこの紹介しました地域も「西陣」と称して紹介されますが

「違います!」(私見)西陣と一緒にしないでください。

それと、神社は別としてお寺は全て日蓮宗です

西陣は比較的日蓮宗のお寺が多い地域なんです

特に理由はないと関係者の見解でした

また、日蓮宗の境内は花の咲く草木が多い傾向があります

そのあたりが庶民に親しまれ信仰を厚くしたとも思考します

対して禅宗のお寺(大徳寺など)は修行に偏重した武士面で

修行に集中する為に侘び寂を重んじたと思考しています。

さくらひとつを見ても傾向が伺えます

あ~、きれいやな~、で、終わらず

なんでさくらが咲いているのか?

ほんまにどおでもええ事を追求する事に深さを感じています  


Posted by 西陣整体 at 00:06私の西陣 番外編

2020年03月27日

西陣千本商店街


今日は千本今出川を下がったところの商店街のお話し

千本今出川の南北に延びる商店街のうち

南の商店街、「西陣千本商店街」の現在を見ていきましょう

昔の話をしたら尽きる事のないネタですが

今はほんまにシャッター商店街に近い状態で

とても往時から想像がつかない状態ですが

ふと、降ろされているシャッターには絵が

描かれているのに気が付きました

最初は絵を書くのが好きな店主が描いたのか?

と、思っていましたが

何軒も描かれているのはなんで?

調べたら美大の学生が描かれたそうです

では、順番に見ていくことに・・・

看板が残っているので思い出すまでもなく

ふとん屋さんですね!


ここは・・・、記憶にございません!


ここは、婦人用品店やったと思います


ここも・・・記憶にありませんが


角地だけに2面描かれてまして

路地側はこんな絵になってます


ここも看板が残っていて婦人服店でしたね


ん~、ここも洋品店やったような気がします


ここは商店街の事務所ですね


最後のここも記憶にない・・・


順番に南に下がってご紹介しましたが

ご記憶のあるお店はありますか?

市電の廃線後、アーケードがあった頃が最盛期

そして、アーケードの撤去から転げ落ちるように

活気を失い現在に至っております

今はただの幹線道路・・・

また、次の機会にそんな昔話しを交えてお話しします。
  


Posted by 西陣整体 at 00:43私の西陣

2020年03月24日

あぶり餅


今日はあぶり餅のお話しをしましょう


西陣を語るには外せない話題です

西陣のソウルフードとか云われてますが

この呼び方はどうでしょうか? 

如何なものかと思うのは私だけでしょうか?

このブログを読んで頂ければそう言えないと思いますよ

で、ご存知のとおり今宮神社東参道に向かい合って2軒ある


「かざりや」と「一和」であぶり餅が食べられますが

今宮神社参道の左に「一和」、右に「かざりや」という店がありますが

ちなみに左の「一和」は正しくは「一文字屋和助」と云います


2軒を比較しながらご紹介してみます

あ!まずは歴史から・・・

平安中期、一条天皇の子が疫病を患った時

疫除けの願いを込めてあぶり餅を供えたのが始まりで

これより今宮神社へ参拝した際は無病息災を祈り

あぶり餅を食べる風習となったそうです。

また、応仁の乱・飢饉の際、庶民に振舞われたと云われています

あぶり餅に関しては「一和」は「元祖・正本家」を名乗り


「かざりや」は「本家・根元」を名乗り相譲りません


ひょっとしたら、「本家本元」争いの元祖かもしれませんね

ですが、「一和」は長保2年(1000年)創業なので・・・

千年以上の歴史があり日本最古の和菓子屋とする説があります

また、店の奥に古い井戸があります。

衛生上の問題で現在は店内の別の井戸で

くみ上げた水を使っているそうです

一方の「かざりや」は創業して約400年とのこと

で、両家の間にはおもしろいといえば失礼ですが

暗黙の了解があります

たとえば・・・

・客引きは互いに中央の石畳には決して入らない
 (石畳は神様の通り道だからだそうです)

・あぶり餅はどちらの店も11本500円でメニューは他には一切無し
 (消費税が上がる度に値段を上げず本数で調整している)

・営業時間・定休日も同じく水曜日

・駐車場の台数も5台と同じなのである
 (6台の時もありました)

長年の競争の果てから見出された調和点なのでしょうね

で、あぶり餅の内容として

一口サイズのお餅を炭火であぶり

京都でお馴染みの甘い白味噌ダレが付いている

竹串は今宮神社に奉納された斎串(いぐし)です

サイズが小さい上に飽きのこない甘さなので

11本くらいでは少し物足りなさを感じさせますね

原料は、お餅・きな粉・白味噌と砂糖を合わせたタレで

搗きたてのお餅を親指くらいの大きさにちぎり

それにきな粉をまぶし細く切った二又の青竹に縫うように差します

それを炭火で軽く焦げ目がつくほど炙ったら

白味噌のたれに浸して出来上がりですが

一和では調理する作業は女性限定とされています

素朴極まりないお菓子で、両方のお店のお餅にさほどの違いも

無さそうなのですが、微妙な餅の搗き方や焼き加減

味噌たれの配合の仕方などで味わいは異なります

最も味に影響のある白味噌も、それぞれ違うお店のをお使いで

「一和」さんが本田味噌本店、一方の「かざりや」さんが石野味噌

どちらも京都では有名な白味噌のお店です

さて、どちらが美味い?と云われ一和派とかざりや派に

別れますますが、これは味覚に対しての好みであって

食べ比べてもそう変わりはありません(私見)

最近はよく店内が混雑しています

空いている方で食べるのを選択肢として一考ください

書き足らない箇所もありますが実際に食べられたら

あ~、ささやんがあんな事を言うとったなと

思い出して頂ければ幸いです。  


Posted by 西陣整体 at 23:54私の西陣

2020年03月23日

私見 西陣織誕生(秘話じゃないよ)


これは母が現役時代に織った「西陣織」の帯ですが


今日は「西陣織」と呼ばれるまでのお話しです

山名宗全の西陣で織ったから西陣織と安直に思っておられ方

多数おられると思いますがそこに至るまでを

どおでもええ話しですが語ります

時代を遡ること平安初期!

律令制のもとで大蔵省に属した織部司(おりべのつかさ)が

最高級の織物を織っていました

しかし、律令体制の崩壊で平安末期あたりから朝廷は

工房を維持することが難しくなってきました

そこで職人達は一斉に・・・

大舎人町(おおとねりちょう、猪熊通下長者町附近)に移り住み

宋の綾織技術を用いて貴族の装飾用に織りました

これが西陣織の源流となります

で、応仁・文明の乱で大舎人町の職人は堺などに被災を避ける為移住し

戦が終結すると京都に戻り・・・

東軍本陣跡の白雲村(新町通今出川上る附近)で練貫座(ねりぬきざ)

西軍本陣跡の大宮あたりでは大舎人座が組織されました

そして、16世紀になると織物技術に勝る大舎人座が将軍家直属の

織物所に指定され1571年には大舎人座31家のうち6家が

宮廷装束を織る御寮織物司(ごりょうおりものつかさ)に任じられました

これ以降,この6家を中心として西陣側の機業は発展していきました

逆に東陣側は技術競争に負け幕府の指定も受けられず

自然消滅したとも云われています

西陣織と呼ばれるまでだけでも国の庇護を解かれ

身内ケンカの応仁の乱に巻き込まれ疎開し

たまたま住み別れた故に競争しなくては生き残れず

もう「西陣織」と呼ばれた頃は渾身、満身創痍やったんやないか?

と、私は思います。

当時は着物の需要があったからこそ復活が出来たし

何時の時代も良い物は残るのか?

ひとつ私は判らい事がある着物は日本特有の衣服で民族服と

あまり言われないがどうなんやろ?言われているのかな?

それからたまたま母は織物職人で身近に西陣織を見ていたが

私が女性だったら・・・、同じ西陣でも信用金庫でなく西陣織職人に

なっていたのではないかな?と思う

ちょっと話がまた脱線しましたが西陣織が誕生するまでを

ダイジェストでお話ししてみました!  


Posted by 西陣整体 at 20:48私の西陣

2020年03月21日

船岡山


西陣はなんでもある!

ちょっと言い過ぎですが「山」がある!

どこでもありますが・・・

今日はご存知、「船岡山」について少し・・・



高さ112メートル山と言うより丘に近いですね

上空から見るとこんな形してます



子供の頃は日が暮れるまで遊んだところですが

ここにもいろんな話題がありまして

今回は山そのものについてですが

これが「人工」やと言う方がおられまして本も出てましたが

これってどうでしょうかね?

平安京造営に起点とさた山でもありますが

その起点とする時、山と山を直線に結んだ中央に

船岡山を「造った!」らしい

おいおい!そんな太古の時代に重機もなしに当時の土木技術で

どこからどうして土砂を運んで造ったん?

古墳やピラミッドなら説明もつくけど

第一さぁ、人が造ったのにこの地層はどう説明するのかな?



至る所船岡山の岩盤はチャートと呼ばれる堆積岩で



その走向と傾斜方向は愛宕山塊のチャートと一致してますし

丹波層群と呼ばれる地層群に属しています!

その丹波層群は、古生代から中生代にかけてアジア大陸東側の海底で

形成された後に隆起した地層群なんです

つまり太古の時代は海の底で盛り上がって出来た山であって

人工ではありません!  


Posted by 西陣整体 at 20:59私の西陣

2020年03月20日

西陣のさくら(千本釈迦堂の阿亀桜)


お彼岸、春分の日、これから春となる暦となって来ました

厳しい寒さがあまりなかった冬でしたが

しかし、自然は移り変わっていきます

目に見えて感じるのは花、さくらは季節を私は感じます

西陣にはさくらスポットがたくさんあります

今日は手始めに千本釈迦堂へ行きました



ご存知のお亀桜、6,7分咲きといったところでしょうか?



枝垂れ桜が境内中央に地面近くまで枝が伸びております




可憐な花びらしていますね~




正しくは「阿亀桜」と書くのですが

阿亀とは実在の人物でこれもご存知の謂れがありまして

こんな妻?嫁?居りませんわ!

内助の功と言うよりもそれ以上のものですね

旦那の失敗をフォローした上に自分の命まで捨てられますか?

うちの嫁なら絶対やりません!フォローもしてくれません!

ちょっと話が脱線しましたが

西陣にはいろんなさくらスポットがあります

お寺、神社、が主なスポットです

ここでどうこう書くよりも画像でお伝え出来れば幸いですが

何是、さくらの開花期間は短いもので

全てお伝えできるかどうか

今年、全スポットをご紹介できるよう挑戦してみようと

いろいろと考えております

西陣のさくらはお寺や神社など人工的に植えられたもの

ばかりですが謂れや趣きのあるものが多く

この阿亀桜はその代表例です

本来なら自然に咲くさくらが一番美しいのですが

「西陣のさくら」としてご覧頂ければうれしいです

現在はどこも蕾状態で膨らみもこれからといったところです

月末か4月初めあたりが見頃かなと思っております

  


Posted by 西陣整体 at 21:04私の西陣

2020年03月19日

私見 応仁の乱




非常に難しいデリケートなテーマですが

まぁ、難しい事は抜きにしてアラカルト的に掻い摘んで

私流にお話ししたいと思います

これは諸説ありますので正しいとは云い切れません

が、意外と知らない事や時代の流れがわかりました

ご存知の部分は割愛しますが

そもそも跡目争いから起こった戦乱で

今の戦争から比べたら乱闘クラスの戦いを

京都中でゲリラ的に11年もやっていました

なんで11年も! 

政治的な原因ではなく歩み寄るところがなく

他人が口を挟んでもなんの利もなかった

まぁ、最終的には話し合いで幕引きとなりましたが

ここがポイントなんです!

西軍(西陣)を解体して東軍(東陣)に室町幕府を置いた点で

西軍は負けた!と仰る方がおられますが

それは明らかに間違いです

応仁の乱は引き分けです!

恐らく戦力的に東軍が大きかったからそう思われたのかも知れません

前後しますが和解の原因は張本人の逝去が大きな原因とされています



また、1日で西陣を解体したとされていますが

1日で解体?出来るんですかね? 何を解体したんでしょうか?

そして、細川、山名家はその後、没落していったとも云われていますが

はぁ?両家ともしっかり繁栄継続されていますけどね

気を惹く為にほんまにええ加減な事を言わはりますね

そして、私自身が納得いかないのが

こんだけ京都を無茶苦茶にしといてお咎めなし!

こらあきませんわ!

どんだけ貴重なものが無くなった事か

引き分けでも戦争責任は取らんとあきませんやろ

まぁ、当時の力関係や裏取引で有耶無耶になったんでしょうね

応仁の乱だけでも話すネタはいくらでもあります

今日はほんの一部を語らせて頂きました。  


Posted by 西陣整体 at 20:50私の西陣