2013年10月08日
豊国神社(その界隈)
また台風が来てますね、その影響かなんだか蒸し暑い
さて、豊国神社・方広寺をご覧頂きました
しかし、まだこの界隈には気になるところがありました。
豊国神社、通りを挟んで向かい側に
小高い丘のような天辺に石の塔が建っている
なんやこれ?

古墳?と思って近くを通ったことがあるのですが
正体を確認しに行きました
構えからして古墳ぽい?

立札に「耳塚」と記されています
「塚」!? まぁ、お墓みたいなもんか!

と読みはじめたら・・・
豊臣秀吉の朝鮮出兵のうち、慶長の役で戦功の証として
討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻を削ぎ持ち帰ったものを
葬った塚らしい
当時は戦功の証として敵の高級将校は死体の首をとっていましたが
農民軍や足軽など身分の低いものは鼻(耳)でその数を証した
(これをしないことを打捨と言われていました)
運搬中に腐敗するのを防ぐために、塩漬、酒漬にして持ち帰りました
そして検分が終われれば、戦没者として供養しその霊の災禍を防ぐのが
古来よりの日本の慣習であり、丁重に供養されたました
昭和44年「方広寺石塁および石塔」として国の史跡に指定された
当初は「鼻塚」と呼ばれていたが林羅山の著書『豊臣秀吉譜』の中で
鼻そぎでは野蛮だというので「耳塚」と書いて以降
耳塚という呼称が広まったそうです
なんと!2万人分の耳と鼻が埋められているそうです!
周囲の石柵は歌舞伎役者をはじめとする
当時の著名芸人達の寄付によって建立された物で
発起人は京都の侠客「伏見の勇山」と伝えられ
塚前の焼香台・石段も寄贈したそうです
戦といえど酷い事をしたもんだ・・・
耳や鼻を削ぎ取るなんて人間のする事か?
当時のことだ、「国益」や「防衛」の戦争ではなかったろう
ただ領地を広げ地位を築くだけだろう
こんな供養塔を建てるくらいなら戦をしなければええのに・・・
と思い「耳塚」を後にしました。
で、ここはこんな所!
現在、東山区ですが表示は「下京区」
で、通り名は「大黒町通り」、なんだか親近感が湧いてきた。

看板の向かいには昔のまんまの酒屋さんがありました
(自販機がちょっと風情をなくしますが・・・)

こんな看板、今は作られてるのかな?

ビールの看板もありますね!

月桂冠もありました!

七条通りへと歩いていたら
まぁ、近くが清水焼の産地ちゅうこともありますね!
作り立ての器が干されてました

豊国神社の周辺を少し探検しました
近くには博物館や三十三間堂など観光名所があります
ちょっと路地に入ったりするだけで
新たな発見や再認識がありました
京都に住んでまだまだ知らない事がありました
やっぱり京都は奥が深い!
では「京(今日)の一曲」は
松崎しげるさんで「愛のメモリー」をお聴きください。
さて、豊国神社・方広寺をご覧頂きました
しかし、まだこの界隈には気になるところがありました。
豊国神社、通りを挟んで向かい側に
小高い丘のような天辺に石の塔が建っている
なんやこれ?
古墳?と思って近くを通ったことがあるのですが
正体を確認しに行きました
構えからして古墳ぽい?
立札に「耳塚」と記されています
「塚」!? まぁ、お墓みたいなもんか!
と読みはじめたら・・・
豊臣秀吉の朝鮮出兵のうち、慶長の役で戦功の証として
討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻を削ぎ持ち帰ったものを
葬った塚らしい
当時は戦功の証として敵の高級将校は死体の首をとっていましたが
農民軍や足軽など身分の低いものは鼻(耳)でその数を証した
(これをしないことを打捨と言われていました)
運搬中に腐敗するのを防ぐために、塩漬、酒漬にして持ち帰りました
そして検分が終われれば、戦没者として供養しその霊の災禍を防ぐのが
古来よりの日本の慣習であり、丁重に供養されたました
昭和44年「方広寺石塁および石塔」として国の史跡に指定された
当初は「鼻塚」と呼ばれていたが林羅山の著書『豊臣秀吉譜』の中で
鼻そぎでは野蛮だというので「耳塚」と書いて以降
耳塚という呼称が広まったそうです
なんと!2万人分の耳と鼻が埋められているそうです!
周囲の石柵は歌舞伎役者をはじめとする
当時の著名芸人達の寄付によって建立された物で
発起人は京都の侠客「伏見の勇山」と伝えられ
塚前の焼香台・石段も寄贈したそうです
戦といえど酷い事をしたもんだ・・・
耳や鼻を削ぎ取るなんて人間のする事か?
当時のことだ、「国益」や「防衛」の戦争ではなかったろう
ただ領地を広げ地位を築くだけだろう
こんな供養塔を建てるくらいなら戦をしなければええのに・・・
と思い「耳塚」を後にしました。
で、ここはこんな所!
現在、東山区ですが表示は「下京区」
で、通り名は「大黒町通り」、なんだか親近感が湧いてきた。
看板の向かいには昔のまんまの酒屋さんがありました
(自販機がちょっと風情をなくしますが・・・)
こんな看板、今は作られてるのかな?
ビールの看板もありますね!
月桂冠もありました!
七条通りへと歩いていたら
まぁ、近くが清水焼の産地ちゅうこともありますね!
作り立ての器が干されてました
豊国神社の周辺を少し探検しました
近くには博物館や三十三間堂など観光名所があります
ちょっと路地に入ったりするだけで
新たな発見や再認識がありました
京都に住んでまだまだ知らない事がありました
やっぱり京都は奥が深い!
では「京(今日)の一曲」は
松崎しげるさんで「愛のメモリー」をお聴きください。